Democracy is fragile!

2020年の全国ラグビー高校大会静岡県大会の出場チームは11チームであった。そのうち、3チームは合同チーム。

現在の静岡県内社会人クラブチームは4チームである。筆者の記憶によると、1980年代には、県横断の1部リーグと東・中・西部各所に2部リーグがあり、合計30チームで、県公式のカップ戦であるSBS杯を目指して凌ぎを削っていた。

SBS杯の決勝はTV放送されていて、実況は当然我らがSさんであった。

あの頃の隆盛はどこに行ったのか?

本稿のタイトルは、米国のバイデン大統領の就任式の際の言葉の一つである。これを聞いて筆者は、"Popularity is also fragile!"(人気もまた壊れやすい)と感じ入った。

RWC2015では、南ア戦での史上最高の番狂わせ、五郎丸ポーズなどでラグビー人気は最高潮に達したかのように思えたが、すぐに冷めてしまった。

さらにRWC2019では、チケット売り上げで最高記録やスコットランド戦のTV視聴率が40%を超えるなど、空前のラグビーブームとなったが、ラグビーをプレイすることや観戦するといった文化として定着してはいないといえる。

ここで何故ラグビー人気が定着しないかについて考えてみたい。

一般の人のラグビーに対する印象はおおむね以下ではないだろうか。

1)野蛮、身体の大きい人のぶつかり合い、痛そう、3K

2)ルールが分からない

3)プレイの意味が分からない、ゲームの面白さが分からない

TVでは得点シーンだけがクローズアップされてしまう。TVからだけでは、ラグビーの本質は伝わらず、「ラグビーにどっぷりハマる人」は少ないし、やってみたいと思う人も少ない。

筆者の考えるラグビーの本質とは、下記である。

4)ラグビーにはスクラム、ラインアウト、モール、ラック等のコンタクトプレイだけでなく、パスやキックなど、プレイの種類が多彩で技術を要するため、身体の大きい人だけが有利ということは全くない。

5)ルールの大原則は、ボールを前に投げてはいけないあるいは落としてはいけない、攻撃時も防御時もオフサイドの位置でプレイしてはいけないの2つだけである。ただし、このオフサイドがバリエーションが多いため、分かりづらさの元凶ではある。

6)身体をぶつけるために最も必要なことは勇気である。ただし、一般の人に伝わりづらいのは、勇気の根本には闘争心だけでなく、相手をケガさせない/自分がケガをしないようなプレイをする冷静さと自制心が必要ということである。また、大きな相手に一人ではなく、チームで対峙するためのコミュニケーション能力が必要である。つまり、ラグビーというのは、実に知的なスポーツなのである。

図にすると、下記のようになる。

ラグビーの本質・魅力を分かっていただき、プレイヤーや観戦者のラグビー愛好家が増えることを望むが、日本にラグビーの人気・文化を定着させるのは難しいのだろうか。

 

 

 

 

崇高な文化!

2019年12月にNHKで放送された「死闘の果てに 日本VSスコットランド」より。

RWC2019での試合について、両チームの関係者(監督、コーチ、選手)約20人にインタビューした番組。
特にスコットランドの3選手の言葉に強く感銘したので、紹介する。

 グレイグ・レイドロー(スクラムハーフ)

  「一生忘れることのない試合だった。」

 フィン・ラッセル(スタンドオフ)

  「勝ち負けを超越していた。こんなに楽しい試合はないと感じていた。」

 スチュアート・ホッグ(フルバック)

  「これまでの人生の中で最高の試合だった。自分は人々の記憶に残るこんな試合のために

   ラグビーを続けてきた。」

負けた側であるにもかかわらず、冷静に振り返っていて、ラグビーの試合の尊厳、日本チームへの尊敬をも感じさせる崇高な言葉である。

スコットランドの選手たちは後半に日本のタックルが甘くなったので、逆転できるとみていたようだ。タウンセントHCも同様。イングランドのエディ・ジョーンズHCも「スコットランドの勝負に対する執念はすごいので、後半逆転するかもしれない」とみていた。

そのため、選手たちからみたら、負けたことは尚更悔しかったことだろう。

負けても上記の言葉が出てくるということは、単なるスポーツマンシップを越えた子供のころから培われた崇高なラグビー文化があるからに他ならない。

 

 

 

 

 

伝説が生まれたとき!

伝説と言っても華麗なプレイを見せるヒーローのことではない。
アシスタントレフリー、通称タッチジャッジのことだ。
発生直後にも係わらず、余りにもインパクトがあったために、すでに伝説となったヒーローを紹介しよう。
ときは2017年7月、大雨が降りしきる四日市の競技場において、三重惑様対楽惑の紺白の後半の序盤に問題???の判定が生まれた。
勝負は、大差で楽惑が劣勢となっていた。三重惑トライ後の楽惑のキックオフでモールパイルアップ。センター付近での楽惑久々のマイボールスクラムから、左に展開、1センでポイントのあと、ハリーで左に展開。ボールは左ウィングである助っ人のカナダ人英語教師で高速スプリンターのJさんに渡り、Jさんが対面1人を外で抜き、40メートルを独走し、トライした。三重惑所属のレフリーは、トライを認定した。
が、間髪を入れず、それに異を唱える漢(オトコ)がいた。タッチジャッジをしていた楽惑のFさんである。
ピッチ上は大雨のため、白いタッチラインは完全に消え去っていた。そのため、選手がタッチラインを越えたかどうかの判定は非常に難しい状況下にあったはずである。しかし、FさんはJさんの走ったコースが両エンドのフラッグ同士を結んだ線の外だったことを確認し、タッチを宣告した。Jさん始め、楽惑メンバーは落胆し、三重惑メンバーは喜んでいた。
スポーツの試合で最も大事なことはフェアプレイの精神である。
Fさんは自分のチームが大きく劣勢であったことや大雨でタッチラインが消えていたことから、タッチの判定をしなくても誰にも咎められないことは分かっていた。かつ、何もなかったかのようにこのまま見逃そうかという葛藤もあった。しかし、Fさんはそうしなかった。トライを取ることよりもフェアプレイの方が大事であるということが分かっていたからだ。

Fさんこそ、スーパーヒーローである。この瞬間、伝説が生まれた。

 

 

 

 

「惑」について

全国に「惑」クラブがどれほど存在しているのだろうか。当部のある静岡に近い各県には1つ以上存在しているので、全国では50クラブ以上はありそうである。筆者の出身地である熊本県はラグビーが盛んな方ではないが、それでも2つはあるようだ。
ところで、40才以上のラグビークラブをなぜ「惑」というのか。「惑」はご存知のように孔子の論語の中の一節「四十而不惑(四十にして惑わず)」からきている。ただし、「40才」を厳密に意味付けするのであれば、「不惑」というべきところではあるが。なぜラグビーだけかというと、はじまりが1948年に世界で初めて40才以上のクラブとして設立された関東の「不惑倶楽部」であり、その後全国で「~惑」というラグビークラブが続々と設立されたからである。そのため、「不惑倶楽部」が「惑」を使っていなければ現在のように全国に「惑」付きクラブは広まっていなかったかも知れない。オーバーフォーティなどと英語で言わなくても「惑」とだけで意味が通じるため、非常に効率がよく、浸透しやすいネーミングでもある。パイオニアである「不惑倶楽部」に敬意を表したい
ところで、「不惑」と「惑」で正反対にもかかわらず、同類として広まったのは、贔屓目にみてラガーマンの包容力、懐の深さ故と理解したい。わが「楽惑」は「不惑倶楽部」の5年後の1953年に設立されたが、意味は「楽しく惑う」であり、「惑わず」などとても言えないということで謙虚な気持ちで命名されたのかも知れない。現代社会において、40才そこそこで惑わない人なんていないのだから、個人的には「惑う」方の命名でよかったと思う。いやいやよかったというより、プレースタイル同様「楽しく惑う」がむしろ正しいのではないか。

 

 

 

 

「楽」について

論語つながりでもう一つ。

「楽惑倶楽部」の命名経緯は存じ上げていないが、非常に良い名前だと思う。その理由は、前述の「惑」とともに「楽」も論語の中で重要な意味を持つ語だからである。「楽」が使われている題の一つに「知好楽」がある。「知好楽」とは概ね「知る者は好む者には及ばない。好む者は楽しむ者には及ばない。」と知られている。つまり、「楽しむ」ものが一番上だということである。

実はこの「知好楽」の解釈は実に難しい。何が一番上かは言っていないので、厳密性に欠ける文章でもある。強い弱いの物差しで、一番強いということでもなく、上手下手の物差しで一番上手ということでもなさそうである。この場では、とにかく、弱かろうが、下手だろうが、楽しんでいることが一番よいということと解釈したい。
そうなると、「知好楽」は「楽惑倶楽部」にとって非常に勇気をもらえる言葉となる。率直に言って、楽惑は弱いし、下手ではあるが、ラグビーというスポーツ、およびラグビーを通じて得られた人間関係を大いに楽しんでいるチームだからである。昔の偉人に「弱くてもいいんだよ、下手でもいいんだよ。楽しみなさい。」とささやかれているみたいで、とても救われる思いになる。

やはり、方向性としては、前述のとおり「楽しく惑う」が合っている。